眠りに落ちることを許可します。

こんにちは。というかはじめまして。さち(Twitter:sati_pua)です。

4,5年前に本のこととかを書いていたこのブログを、

別の形で再利用したいなと思い、

エントリを書き始めました。

 

僕は東京で暮らす会社員です。

既婚者ではありますが、趣味でナンパをしています。

 

ナンパを始めたきっかけはツイッターで、

いわゆる『恋愛工学』というクラスタの皆さんを眺めていたら、

自分にもできそう、、と思い、自分なりに始めてみました。

 

そうして、このエントリを書いてる時点で、

キャリアとしては1年強くらいの間に

数十人の女の子とセックスするに至りました。

(ちなみにこの数字はそんなに自慢できるものではないです)

もともと非モテであった僕はこの手の肉欲に対して割と執念深いみたいで、

今後もコンスタントに結果を出し続けていきたいと思っています。

 

このブログではその辺の記録であったり、

ちょっとしたナンパのTipsを書き連ねていくことで

僕にナンパの世界を教えてくれた皆さんに対し、

あるいはこれから「即数」を稼ぐことになるビギナーのナンパ師の皆さんに対し、

あるところで僕の経験を有益な形で還元することができるかもしれない、

と思っています。

 

 

また、恋愛工学の界隈にいる皆さんというのは、

たいへん意識の高い方が多く、例えばアンチ・エイジングや

資産運用(昔でいう「財テク」ですね)といった

およそ普通に生きてるうちには「本気で」手を出すには憚られる、

そういったテーマについての造詣が深い傾向があります。

いずれも人生を豊かにしたいという思いに正直に応える術だと思い、

僕も多く共感するところがあります。

 

これも恋愛工学という界隈に僕が惹きつけられた理由のひとつです。

「界隈の人間が似たような類型を示す」ということ自体には、

僕自身は違和感がありますが、

それでも、QOLを上げる具体的な努力の術と

その記録たちが惜しげもなく開陳されているさまは、

僕にとってかなり刺激的でした。ネットってすごいね。

 

このブログではこういった類のテーマも扱って、

よりよく生きるための術を探っていけたらと思います。

 

別のしかたで :ツイッター哲学 千葉雅也

 

別のしかたで:ツイッター哲学

別のしかたで:ツイッター哲学

 

特に前提知識なく読み出せる哲学・・・というより
大喜利のような本。
Twitterにおける大喜利的な側面を効果的に発揮した良著。

 

この大喜利的なフォーマットを利用し、
ギャル男文化から哲学まで、幅広い対象の批評を試みている。
よく筆が流れるなぁと思ったら、
著者もこんな感じのことを言っている。
「なぜこんなに書きやすいかというと、
 書き始めた途端にもう締め切りだからである」
なるほど完全に大喜利向きの考え方だ。

 

こういった本、一昨年ぐらいから
だんだん出るようになったよね。
もっと増えるといいな。

Tweet集は名言集である。
それが批判であることに気付けないのは、
(私を含めた)皆が名言セラピー中毒者になってしまっているからだ。
と私は思う。

現代に生きる私たちは、
おそらく名言セラピー中毒から大なり小なり逃れられない。
しかし、「Twetterは詩的である」ということを念頭に置きさえすれば、
これを上手く堪能できるのではないか、と思います。

そういうわけで Tweet集は、これはもう詩的です。
そう考えて付き合うとよろしい。
Twitterの詩的な側面。外形の140字ルールがそれを決定付けた。
言葉の持つ深みを計量する上では、
この電算上に表現される140文字は
あまりに頼りないと感じるのかもしれない。
でもこれって詩だからむしろそのことを言祝げばいいんじゃないかな、
と思います。

ゼロ年代の想像力 宇野常寛

 

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)

 

 

'14ベスト。ここ30年くらいを扱う批評として、ドラマ・映画・漫画・アニメ等を通じ、前向きな結論を導いてくれた。

 

特に評価したいのは、これらコンテンツと社会とのつながりだ。重大な社会現象・大きな事件とコンテンツが互いに前提・後続への布石として響きあう点だ。

社会現象の影響によりコンテンツが発生するのは良く言われる話だが、今度はコンテンツが社会へ影響を与える、という考え方には強く共感できる。

(私見としては、しかもその与え方は前者よりももっと郊外的でバリエーションに富んだものだ、と考えています)

 

こういう文章を読むと、途端に教養※1のようなものを崇拝する気分になってしまうけれど、いかんせん、私(達)はあまりに歴史を知らなすぎると思う。

例えば阪神大震災は、オウムの事件は、9.11は西暦何年の出来事だったか、その時あなたは何歳だったか、すぐに出てくるだろうか。私には出てこない(私だけかもしれない)。

宇野氏の示す「想像力」へのコミットは、おそらくはそういったものを強く意識しなければ出てこないものだろと思う。

それが生きる上で必要ではないけれど、私たちの周りに存在するコンテンツがいかなるバックグランドを持っているか、あるいはあなたとどのように繋がりあえるか、つまり系譜学的な考察をするのに大きく貢献してくれることは間違いないだろう。

 

※1 教養という語の正確な定義は知りません。イメージで使っています。なまぐさでごめんね。